外資系企業でバリバリに働いていた時代を経て、それまでまったく無縁だった臨床心理の道を志したという吉田美智子さん。
「以前の私は仕事に邁進するキャリア志向の人間だったのですが、あるときそういう生き方に疲れてしまったんですね。簡単に言うと燃え尽きてしまって。それで会社を辞めてしばらくぶらぶらしていた時期に、図書館で河合隼雄先生の本に出会ったことがきっかけで『人の心の動きって面白いな』と心理学に興味が湧いてきたんです。そこから受験勉強を始めて大学院に入り、真剣に心理学を学び始めました」(吉田美智子さん)
臨床心理士の資格を得た後、吉田さんは子どもたちの相談に向き合うスクールカウンセラーという職業を選びました。なぜ、大人ではなく子どもの悩みに向き合おうと思ったのでしょうか。
「当初は私自身、会社員経験がありましたから大人を対象にするつもりでした。でも、ご縁があって小学校でスクールカウンセラーとして実習をさせていただくことになったところ、非常に多くのことを学べたんです。この先も心理学をやっていくのであれば、子どもの発達心理学の現場から学べることは多いと感じて、小中学校のスクールカウンセラーとして経験を積む道を選択しました」(吉田美智子さん)
もちろん、子ども相手ならではの難しさもたくさんあったそうです。
「小学生は本当の気持ちを言葉で表現するのがまだ難しいですし、中学生になると本音を言いたくないという意識が芽生えますよね。子どもの場合は言葉ではなく、行動や身体でサインを発するケースが多く見られました」(吉田美智子さん)
そこで吉田さんは、小中学校のカウンセリングで箱庭療法(※1)を採り入れることに。
(※1)砂の入った箱の中に、人、動物、植物、建物、乗り物などのミニチュアを自由に置く心理療法の一種。
「学校の用務員さんにお願いして集めてもらった砂を箱に入れ、ビー玉や雑貨などを入れておいたところ、子どもたちがそれで遊びながらポツポツと本音を話してくれるようになったんですね。そうするとどんな人形をどう置くか、ということから、その子が置かれている状況の苦しさが透けて見えたケースなどもありました」(吉田美智子さん)
子どもが何に悩んでいるか、大人側がその原因を必ずしも究明しなくてもいい、と吉田さんは考えています。
「なぜかというと、子ども自身に乗り越える力が備わっているからです。だからこの子はなんとなくこのことで悩んでいるかな、と目星がついたら、大人側がほんの少し環境調整をしてあげるだけで、いい方向に向かう場合があります。そういう意味で、スクールカウンセラーは子ども自身の成長する力にかなり助けられる職業とも言えます」(吉田美智子さん)
新型コロナウイルス感染拡大防止のために「普通の生活」が様変わりした今、大人はもちろん、子どもたちの心も日々揺れています。スクールカウンセラーとして経験豊富な吉田さんから見て、「新しい生活様式」は子どもの心にどのような影響をもたらしているでしょうか。
「外遊びや給食中のおしゃべりが制限されるなどの影響か、我慢をしている子、頑張りすぎている子や不登校も増えている印象を受けます。イライラしやすくなった、不安感が強くなっている、集中力が低下した、赤ちゃん返りのように甘えてくるようになったなど、ストレスを上手にリリースできない苦しさが、さまざまな行動で顕在化しているように感じますね」(吉田美智子さん)
ただ、そういった反応はごく自然なことだと吉田さんは言います。
「大人だって、不安な状況が続いて心がざわついていますよね。それならば子どもが感じる不安を否定せずにいられるといいですね。大切なのは、子どもの不安な心に寄り添うこと。もしわが子がイライラや不安を言葉にして教えてくれたら、『そうなんだ、教えてくれてありがとう』『実は、お母さんも同じように緊張したりイライラしちゃってるんだよ』と共感を返してあげてください。登校を渋るなどの行動が見られたら、無理させずお休みするという選択肢も考えていいと思います」(吉田美智子さん)
わが子が今どんな心の状態にあるのか気になりますよね。吉田さん監修のもと、子どもたちが抱えているストレスや不安の状態を理解するチェックリストを用意しました。次の項目の中で、お子さんの言動はどれか当てはまりますか?
各項目について、吉田さんに解説してもらいました。
●1・2が当てはまる場合
心と身体は密接に結びついています。食欲があっておいしく食事ができること、夜眠れることは何より大切なこと。心の不調を感じたら、「食事」と「睡眠」の乱れを最優先で整えてください。具体的には、栄養バランスのよい食事をとる、朝・昼・夜の3食を毎日同じ時間帯にする、就寝時刻を決めて睡眠時間をしっかり確保する(小学生の理想は9時間)、睡眠の質を上げるために夜8時以降はスマホやテレビを控える……など。いずれも大人側が気をつけてあげましょう。
●3・4が当てはまる場合
子どもの場合、心が不安定になると落ち着きがなくなる、イライラしやすくなる、怒りっぽくなる、すぐに泣いてしまう、といった情緒の乱れの形で表れます。注意したいのは、その行動を否定しないこと。頭ごなしに叱るのではなく、安心できるゆったりした雰囲気をつくって「大丈夫だよ」と不安を受けとめてあげてください。
●5が当てはまる場合
やる気が出ない、集中力が欠けるといった状態も、情緒が不安定なことに起因しているケースがあります。そんなときは「やらなければいけないこと」よりも、「楽しくやれること」を優先して。ひとまずは無理強いせず、のんびり過ごしてください。ただし、ゲームやSNSにのめり込んでしまうことも多いため、注意が必要です。その場合は、あらかじめ時間やルールを決めておきましょう。
●6が当てはまる場合
未就学児や小学校低学年に多いケースですが、場合によっては中学年のお子さんにも見られることもあります。不安が高まったときに、お母さんやお父さんと一緒にいたいと思うのは自然なことです。ひとりを嫌がるときは「怖くなるんだね」と寄り添い、できる限り一緒にいてあげましょう。行き渋りや不登校に発展した場合は、無理に行かせても本人の不安が募るだけ。まずは、あたたかく受けとめてください。
●7が当てはまる場合
不安や心細さを誰にも話せず、自分ひとりで抱え込んでしまう子もいます。この場合、エスカレートすると自傷行為などにつながってしまう可能性もあるため、注意が必要です。「無理に話さなくてもいいけど、気にしているからね」「いつでも話を聞くよ」と日頃からしっかり伝えておいた上で、見守ること、そしてその子が安心できる時間を一緒に積み重ねていくことが大切です。
上記の項目でいずれかが当てはまる場合は、まずはおうちで様子を見守りましょう。親が声掛けや対応の仕方を工夫するだけでも、自然に解決へと向かうケースが多く見られるそうです。
ただ、3つ以上の項目が当てはまる場合は、専門機関への早めの相談が推奨されます。
「お住まいの地域の子育て相談、学校のスクールカウンセラーなど、無料で相談できる窓口が必ずあるはずです。『こんな些細なことでもいいのかな』と心配せずに、気軽に相談してみてください。かかりつけの小児科のお医者さまなどへの相談もいいですね」(吉田美智子さん)
一方で、相談窓口の人と相性が合わない、といったケースも残念ながらあるそうです。
「『親御さんがもっと頑張ってあげて』と精神論を押し付けられたり、きつい口調で対応されたりして、相談後に余計落ち込むようなこともあるかもしれません。その場合は、セカンドオピニオンと同じで、別の相談窓口に相談してみることをおすすめします。相談が終わった後に、少しでも心が軽くなれるような相手に話を聞いてもらいましょう」(吉田美智子さん)
親と子のコミュニケーションは、人間関係の原点ともいえる大事なもの。親は子どもにとって安全基地であり、スキンシップを求めてくるのは子どもからのSOSである場合もあります。
人生経験を積んできた親側が心のメカニズムを学ぶことや、コミュニケーションの方法を見直すことも、親子関係をよりよい方向へと変えていくきっかけにもなるはずです。子どもが感じている不安やストレスを頭ごなしに否定せず、追求しすぎず、自分自身の力で感情を上手に処理できるよう、サポートすることを心がけていきましょう。