(森ビル株式会社提供)
「江戸時代の古地図」と聞くと、専門的な知識がないと解読することが難しいイメージがありますよね。しかし、「江戸に詳しすぎるタレント」として、数々のテレビ番組に登場している堀口茉純さんによると、「江戸古地図は、詳しい知識がなくてもひと目で当時の街の様子がわかります。眺めていると本当にワクワクしますし、古地図片手に街歩きをすると発見がたくさんあるんですよ!」とのこと。堀口さんのような若い女性をも魅了する江戸古地図とは、実際にはどのようなものなのでしょうか?
ユーキャン『古地図で楽しむ江戸・東京講座』より
「尾張屋板 江戸切絵図 芝愛宕下之図」(©こちずライブラリ)
※下部の絵入り部分が増上寺
「江戸古地図を初めて見ると、緻密なこと、そしてカラフルなことに驚くと思います。屋敷に住んでいる人の名前が細かく記されていますが、名前が書かれているアタマの方向が玄関口になっているので、出入り口の方向がひと目でわかるようになっています。また、居住者の身分や敷地の用途によって色が分けられているんです。武家は白、町人はグレー、寺社は赤となっていて、ランドマークとなる建物には絵まで入っています。例えば、すごく敷地の広い武家を見てみましょう。『毛利家』や『松平家』など誰もが知る大名の名前が書かれているので、やっぱり大きいお屋敷に住んでいたのね、と納得しますよね。また、東京タワーのふもとのお寺として有名な増上寺は、古地図でも絵入りで紹介されていて、今の3倍くらいの敷地があったことがわかります。宗教的な聖地としてはもちろん、観光地としてもにぎわっていたであろうことが想像できますよね」(堀口茉純さん)
なるほど、地名や寺院は今と同じ名称で書かれていることも多いですね。最初はどの場所の古地図を見ると良いでしょうか?
「自分が住んでいる場所や行ったことがある場所を古地図で眺めると、発見がいろいろあると思います。例えば今の六本木ヒルズにある毛利庭園は、戦国時代に三人の息子に命じた「三本の矢」の逸話が有名な毛利元就の孫が設けた長府藩毛利家のお屋敷の庭園でしたし、東京ドームのある小石川後楽園を含めた東京ドームシティは、水戸藩徳川家のお屋敷です。また、麻布は現在では繁華街ですが、江戸の中心地から少し離れていたので、下屋敷(※)が多く、広い敷地の武家屋敷が並んでいます。」
身近な場所の歴史を感じることができて、おもしろいですね。ほかにも江戸古地図を読むときのポイントはありますか?
「江戸と現代では東京大震災や第二次世界大戦の東京大空襲があったため、道は区画整理されてかなり変わっていますが、坂は残っていることが多いんです。例えば、今も存在する六本木の芋洗坂、麻布の暗闇坂などを、古地図内でも見つけることができます。江戸古地図で街歩きをする時は、坂道を目印にすると面白いですよ」(堀口茉純さん)
※下屋敷:郊外にあり、「別荘」のような位置付けの屋敷。江戸城から近い順に上屋敷(藩主が暮らし、執務を行う中心施設)、中屋敷(跡継ぎや、藩主が隠居後に暮らす所)、下屋敷(藩主の趣味や緊急時の備蓄施設として活用する場)が配置される場合が多かった。
堀口さんによると、「古地図の醍醐味は実際に街歩きをして、リアルに江戸時代を感じること。まずは、自分が好きな時代小説や歌舞伎の演目の舞台を歩いてみることをオススメします!」(堀口茉純さん)とのこと。具体的に、どのように歩けば良いのか、どんな発見があるのか、人気小説の舞台を例にして教えていただきました。
■八朔の雪 みをつくし料理帖 髙田郁 (ハルキ文庫)
ひとりの女性の料理人を描いた「みをつくし料理帖」は、ドラマ化もされた若い女性にも人気の時代小説シリーズ。主人公・澪が働く料理屋「つる家」があるのは、元飯田町。近くの神楽坂には今も料亭が立ち並び、美食家に人気の街です。
「神楽坂は江戸城に近いので、武家屋敷が多い街でした。澪の最初の想い人である小松原は、将軍からの信頼も厚い身分の高い武士。身分を隠して澪の店に通う、という設定でしたね。実際に江戸城(皇居大手門)から神楽坂まで歩いてみたのですが、少し疲れてお腹が空いたので、澪のお店があったら立ち寄りたいな~と思いました(笑)」(堀口茉純さん)
神楽坂でお腹を満たしたら、澪の幼馴染である花魁の野江がいる浅草まで足を伸ばしてみましょう。神楽坂から浅草までは5キロ以上あるので、歩くと1時間はかかります。しかし、野江がいる「翁屋」の料理番であった又次は、この距離を往復して、愛する野江に澪のお弁当を届けていました。実際に古地図を片手に歩くことで、又次の野江に対する愛情の深さが感じられるかもしれません。
■忠臣蔵
赤穂四十七士が主君であった浅野内匠頭の仇を討つために吉良邸に討ち入りした「赤穂事件」を元に描かれた「忠臣蔵」は、何度も小説や映画の舞台となっています。さらに、歌舞伎や講談の演目としてもお馴染みで、最も有名な江戸時代のエピソードのひとつです。
「忠臣蔵は実際にあった事件を元にしたフィクションなので、事実とは異なるところもありますが、何度も映画化されたように、今でも根強い人気があります。私も仕事で忠臣蔵の舞台を歩くイベントを企画したり、案内人として参加したりしていますが、プライベートでも年に1度は、赤穂浪士たちが歩いた道のりを歩くようにしているんですよ」(堀口茉純さん)
赤穂浪士は、両国にある吉良邸に討ち入って主君の仇をとった後、主君の墓がある品川・泉岳寺に報告に向かいました。その距離、約14キロ。この距離を赤穂浪士たちは甲冑や刀を身につけながら2時間ほどで歩いたと言われています。しかも討ち入り当日は雪道だったことを考えると、当時の人はすごい健脚ですよね。
「赤穂浪士たちが討ち入った吉良邸は、両国駅にほど近く現在は公園となっています。ここから両国橋まで歩くと、『赤穂浪士休息の地』と書かれた案内板があります。浪士たちはここで休息した後、隅田川沿いに南下して永代橋を渡りました。築地にある聖路加国際病院のあたりが主君であった浅野邸で、石碑が建てられています。さらに、銀座を通り、第一京浜を経由して泉岳寺に到着です。赤穂浪士の道のりにはあちこちに案内板が建てられているので、忠臣蔵について詳しくなくても楽しめるようになっていますが、古地図を見ながら歩けば楽しさ倍増!今はビジネス街になっている日比谷や新橋や汐留がどのような街並みだったのか、江戸時代に想いを馳せながら歩くことができます。両国から泉岳寺まで距離はありますが、都心を歩くのでカフェなど休憩所には困りませんので、体力に自信のある方はぜひ歩いてみてください」(堀口茉純さん)
「江戸古地図を眺めていると、江戸の文化や生活が見えてくることも魅力のひとつです」と堀口さん。確かに古地図を見ると、広大な敷地の武家屋敷街、入り組んだ町人街、商店が並ぶ街道筋、寺社が密集している地域など、現代よりも身分ごとに街が住み分けされています。
古地図の解説をされている堀口さん
「例えば、当時の商業・経済の中心地と言えば、商人の町である日本橋。江戸時代は主要道路の五街道の起点だったこともあり、ここに店を構えることは一流の証。今も百貨店などの商業施設が立ち並んでいますが、古地図と照らし合わせると、大きな商店の面影が残っていたりして、当時の賑わいを感じることができます。また、当時のスターと言えば、歌舞伎役者。演目ごとに着物を仕立て、その着物のデザインが話題になり広まっていく、という流行の発信源としての役割も兼ね備えるほど影響力がありました。一方、女性のスターは、吉原の花魁。知性と教養、さらにおもてなし精神を兼ね備えた女性として、高嶺の花でした。役者と花魁がいる街として、栄えたのが浅草です。浅草は江戸城から遠く、もともとは田舎町だったのですが、浅草寺の裏手に芝居小屋が移転してきて芝居町ができ、遊郭・吉原とも近くなったことで、江戸一番の娯楽の町となりました。古地図を見ても、小さな区域に人が密集している様子がわかり、当時の賑わいが伝わってきます。またこの地域に限らず、お炊き上げなどが行われる寺社は、火事の火元になることが多かったようです。『火事と喧嘩は江戸の華』と言われ、江戸時代の暮らしが題材となった噺がたくさん残っている落語でも、火事の噺が多くありますよね。今の消防団のような存在の町火消は町民にとってのヒーローで、落語の『火事息子』では反対する親に黙って火消になり、勘当される息子が登場します。『火事息子』の舞台は神田ですが、古地図を見ると長屋が多く、町民が肩を寄せ合って住んでいる様子や、火事が起こればあっという間に燃え広がってしまうことがイメージできます」(堀口茉純さん)
「好きな時代小説や歌舞伎の舞台を実際に歩いてみると、距離感がわかって、より深くストーリーに入り込めるようになります。例えば、歌舞伎なら、観劇後に物語の中で実際に舞台になっていた街を古地図を手にして歩いてみると、登場人物の息遣いが感じられるような気がして、世界観をより深く楽しめますよ」と、堀口さん。
江戸時代を舞台にした小説や芸能を楽しむ時には、江戸古地図を活用しなくてはもったいないですね!みなさんも、古地図片手に街を歩き、江戸の暮らしや人々の息遣いを肌で感じてみませんか?