まずは教科書などでもよく目にする、日本の歴史には欠かせない2人のイケメンを、そのエピソードとともにご紹介します。
幕末の志士・坂本龍馬は、写真のように細身で、立ち姿もキマっています。男女問わず人に好かれる性格だったようで、婚約話が出るほどの恋人がいたほか、各地で女性との交流も多く、モテていたようです。そんな坂本龍馬が結婚したのはお龍という女性。京都の寺田屋で龍馬が負傷したことをきっかけに、お龍と薩摩へ旅立つことに。これが日本初の新婚旅行ともいわれています。夫婦であっても、男女で旅をするというのは当時としては珍しく、お龍とは信頼関係で結ばれていたことを感じさせます。
また、坂本龍馬と同時期を生きた土方歳三は、新選組で「鬼の副長」と恐れられた一方で、京都の花街の女性からたくさん恋文をもらうようなモテ男で、郷里に送って自慢していたとか。これぞまさにイケメンエピソードといえるでしょう。
幕末から近代を生きた、歴史上の人物のイケメンランキング、ベスト5をご紹介します。当時の写真から、独断と偏見で選んだものですので、あらかじめご了承ください……!
5位:勝海舟(勝安芳)(1823-1899)
勝海舟
画像は勝海舟の会提供
江戸生まれ。江戸城無血開城を成功させた立役者。西洋兵術を修めたのちに蘭学と兵法学の私塾を開いたという文武両道男子で、日本海軍の礎を築いた人物でもあります。
30代の頃に撮影したと思われるこちらの写真を見ると、彫りの深い顔立ちで精悍さを感じさせる爽やかイケメン!光の具合かもしれませんが、髪は少しくせ毛なのかな‥‥なんていう想像もしてしまいます。明治維新後も要職を歴任し、晩年の写真は、長いあごひげに、意志の強さと風格がにじみ出てダンディな印象です。
ただし私生活では、妻の民子のほか妾も多数いて、妾や女中に子供を生ませたうえ、妻と妾を同居させていたとか。さすがに本妻・民子も耐えかねたのか、お墓は別にしてほしいと主張したそうです……。
4位:南方熊楠(みなかた・くまぐす)(1867-1941)
南方熊楠
画像は南方熊楠記念館提供
和歌山県出身の世界的博物学者。生物学や民俗学など幅広い研究で知られ、東京大学予備門(現東大教養学部)を経て、アメリカ、イギリスに留学もしています。
写真はアメリカで撮影されたものですが、がっしりとした体格でネクタイ姿の洋装が似合う、目鼻立ちがはっきりしているイケメン。その後の写真もほとんど短髪で、飾らない人柄という印象を受けます。
まっすぐな性格ゆえか、ロンドンの大英博物館では来館者の差別的行為発言に憤り、相手を殴って出入り禁止になったという豪快すぎるエピソードもありますが、親戚や家族と写っている写真はおだやかな雰囲気です。
イギリスから帰国し、40歳の時に28歳の女性と結婚。夫婦仲はよかったようで、熊楠の体が弱ってからは、妻が菌類の採集をするなど熊楠を助けていたようです。理解ある配偶者に恵まれたのですね。
3位:徳川慶喜(1837‐1913)
徳川慶喜
画像は国立国会図書館ウェブサイト提供
江戸幕府最後となった第15代征夷大将軍。将軍在位期間は1年と短かったので、大正2年に亡くなっていると聞くと、結構最近のような気がしますね。
著作権の関係で残念ながら晩年の写真しか掲載することができませんが、若い頃の写真は、ほっそりとした中性的な顔立ちで、育ちのよさが出ているところは、ザ・セレブイケメンといった雰囲気です。晩年は、公爵を授けられるまでに功績が評価されただけあって、威厳と貫禄が漂いますが、どこか自由人らしさも感じさせます。
趣味は幅広かったようで、政権を返上した後の人生のほうが、むしろ充実していたようです。写真撮影に夢中だったことは有名ですが、30年あまり過ごした駿府(静岡)では、サイクリングも楽しんでいたとのこと。正室の美賀子との関係は冷えていたともいわれますが、静岡時代にはふたりで釣りに出かけていたという温かいエピソードもあったようです。
2位:池田長発(いけだ・ながおき)(1837-1879年)
池田長発肖像(個人蔵)
画像は井原市教育委員会提供
備中国、井原(岡山県)の旗本。1863年に横浜鎖港談判使節団(遣欧使節団)の正使としてヨーロッパに派遣されました。この旅はダイナミックで、フランスの軍艦で日本を出発し、スエズからは陸路でエジプトのカイロへ入ります。ギザではスフィンクスの前で写真を撮っているというから驚きです。さらにパリでは皇帝ナポレオン3世に謁見するという当時の庶民では考えられないような経験をしています。ただ、交渉は失敗に終わり、幕府から蟄居(ちっきょ=当時の謹慎処分)を命じられるなど帰国後は不遇だったようです。
写真から感じられる魅力は、なんといっても現代の若手俳優やダンサーのような顔立ちで、そのままカジュアルなシャツやデニムやスーツを着せても似合いそうなところ。なんとなく斜に構えているポージングもイマドキの感覚と共通していますね。女性関係に関するエピソードはほとんど見つけられませんが、硬派イケメンだったのかもしれません。
1位:東郷平八郎(1847-1934)
東郷平八郎
画像は国立国会図書館ウェブサイト提供
薩摩生まれ。日露戦争の際、連合艦隊司令長官として、世界最強といわれたロシアのバルチック艦隊を破ったことで一躍国民的英雄になった人物です。日露戦争後は東宮御学問所総裁として昭和天皇の教育に携わります。
若い頃の写真は理知的な雰囲気が漂うイケメン。1926年にはアメリカの『TIME』誌に、日本人として初めて表紙を飾っています。まさにアドミラル(提督)という名にふさわしい眼差しと立派な居ずまいです。
当然、若い頃から晩年まであらゆる女性にモテたようですが、愛妻家で、妻の療養のために伊東に別荘を建てるなど、仲睦まじかったといわれています。
三光神社 真田幸村像
写真は残っていなくても、イケメンとして語り継がれている人物もいます。特に、ドラマやゲームの影響もあり、女子の間でも人気沸騰中の戦国武将たちには、逸話も数多く残されています。
例えば、真田幸村(信繁)は、よくイケメンとして描かれる武将のひとり。大坂夏の陣では、徳川家康をあと一歩のところまで追い詰めながらも散ってしまった、悲劇のヒーローとして語り継がれています。
しかし、実際の容貌について肖像画や史料から推測すると、身長は140センチ台と当時としても小柄で、歯も抜けていたのでは……という説もあります。真田幸村はその奮戦ぶりに加え、豊臣秀吉に恩義を感じて徳川側からの誘いを断るなど義に厚かったとされ、イケメンに描かれているのもこのためかもしれません。
真田幸村に限らず、イケメンエピソードが広まる背景には、主君をより格好よく見せたいという家臣たちの思いや、神格化させるために逸話を誇張していることも考えられます。しかしそれはつまり、彼らには「よりよく語り継ぎたい」と思わせるような、人間的な魅力が備わっていたともいえるかもしれません。
今回ご紹介したものも含めて、歴史上の人物のエピソードの多くには、さまざまな説があります。真相が分からない部分があるからこそ、残された写真や肖像画、言い伝えなどから、あれこれ想像を巡らすのが楽しいともいえますね。
お気に入りの歴史上の人物が見つかったら、ドラマや小説、ゲームなどでの描かれ方を比べてみるのも興味深いかもしれません。もっと知りたくなったら、資料を読み比べてみたり、ゆかりの地を訪ねたりして、より深く歴史を学んでみてください。きっと、さらなる魅力が見つかりますよ!
※こちらの記事でご紹介したエピソードの中には、諸説あるものもございます。
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