2015.12.02

人生はこれから!歴史の英雄に学ぶ、40代からの成功ストーリー

人生はこれから!歴史の英雄に学ぶ、40代からの成功ストーリー

40代は人生の折り返し地点。今後の人生に迷いが生じるときもあるでしょう。先人たちの、壁に立ち向かう姿勢や困難の乗り越え方は、私達の人生を今よりもっと輝かせるコツが隠されているかも。中学受験の専門家でありながら歴史にも詳しい熱血塾講師、宮本毅さんが解説します。

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40代からの劇的逆転勝利に学べ

織田信長は49歳で、部下の明智光秀のクーデターによりこの世を去りました。彼は敵の業火にその身を焼かれる前に、かの有名な「敦盛」を舞い「是非に及ばず」と言って自刃します。「人間50年、自らの運命についてあれこれ考えたところで仕方のないこと」と、自らに突き付けられた苛烈な最期をも、あっさりと受け入れたのです。

しかし私たち現代人は、たかだか50年で人生をあきらめるわけにはいきません。40代からの劇的逆転勝利で人生の後半戦を勝ち取った歴史上の人物から、今後の生き様を学んでいきましょう。

47歳で歴史的勝利をおさめ、一気に皇帝にまで成り上がった「劉備玄徳」

47歳で歴史的勝利をおさめ、一気に皇帝にまで成り上がった「劉備玄徳」

三国志と聞けば、男子なら誰もが胸を躍らせ血をたぎらせた若かりし頃を思い出すでしょう。今から1800年ほど前の中国でのお話です。とりわけ日本で人気が高いのが劉備玄徳ですね。彼は中国皇帝の子孫ながら、田舎町でむしろを織って生計を立てていました。23歳の時に一念発起して兵を挙げるも、なかなか勝利に恵まれず、中国全土を流浪して回ります。転機が訪れたのが47歳のとき。映画『レッドクリフ』にもなった「赤壁の戦い」で歴史的大勝利をおさめ、これ以降一気に皇帝まで駆け上がるのです。

戦下手だった劉備玄徳ですが、彼の元にはその人徳を慕い、有能な部下がたくさん集まりました。それが後の成功の原動力となったことは明白です。私たちも来るべき時のために、今のうちから有能な部下や共に戦う仲間の心をつかんでおくべきでしょう。人脈はお金では決して買うことができませんから。

40歳にしてすべての音が聞こえなくなりながらも、作曲活動を続けた天才音楽家「ベートーヴェン」

40歳にしてすべての音が聞こえなくなりながらも、作曲活動を続けた天才音楽家「ベートーヴェン」

ベートーヴェンは類まれなる才能を駆使し、若いときから音楽家としての地位と名声を得ていました。それゆえに「大器晩成」とは言えない部分もありますが、私はあえて彼を紹介したい。

そう、ベートーヴェンは数々の苦難を乗り越えて作曲活動を続けた不屈の人なのです。まず彼は、25歳ころから、音が神経に伝わりにくくなる伝音性難聴を患います。これは音楽家としては大変なハンディです。40歳になる頃にはそれはいよいよ悪化して、全く物が聞こえなくなってしまいます。さらに慢性的な腹痛と下痢に悩まされます。にもかかわらず、こののち彼は代表作であるかの有名な「第九」を完成させるのです。

私たちは彼から、たとえどんな困難にぶち当たったとしても、不屈の闘志でそれを乗り越えるということを学びます。どんな試練も、音楽家が音を奪われるよりはまだましでしょう。決してくじけない心を、私たちも持っていたいものです。

年商1億円の会社経営者から一転、50歳で天文学者に弟子入りした男「伊能忠敬」

年商1億円の会社経営者から一転、50歳で天文学者に弟子入りした男「伊能忠敬」

伊能忠敬は千葉で酒造業その他を営む商家の主でした。その年商はなんと1億円!彼の人生は順風満帆で、生活に困るということはありませんでした。49歳のときに家督を長男に譲り、自らは隠居して悠々自適の老後生活に入りました。

しかし彼は翌年、そんな安泰な老後をあっさりと捨て、何と突然自分よりも19歳も若い天文学者の高橋至時の弟子となるのです。彼はその後猛烈な勢いで天文学と測量技術を学びます。そして55歳から亡くなる直前の71歳まで、全国津々浦々を徒歩で歩きまわり、正確な日本地図を作り上げるのです。歩いた総距離は何と35,000キロメートル、歩数にして4,000万歩。それを50歳を過ぎてからやってのけるわけですから、そのバイタリティには頭が下がります。

人は歳をとると、変なプライドに縛られて新しいことにチャレンジしても長続きしなかったりします。そんな私達に伊能忠敬は「もったいないよ」と語りかけてきます。50の手習いと笑われようと、気にする必要はありません。新しいことにチャレンジして、人生後半戦を楽しもうじゃありませんか。

2度の失敗にもくじけず、3度目の正直で討幕を成し遂げた不屈の天皇「後醍醐天皇」

後醍醐天皇は鎌倉時代末期の第96代天皇ですが、自らに権力を集中させようとして二度にわたり鎌倉幕府討幕計画を立てます。ところがいずれも幕府側にばれてしまい、後醍醐天皇は隠岐(島根県)に配流となってしまうのです。普通、二度もプロジェクトに失敗して、しかもさびれた地方支店に左遷されたら、さすがに人生諦めますよね。ところが彼はしぶとかった。隠岐から脱出した後醍醐天皇は46歳のとき、足利高氏(のちの尊氏)や新田義貞ら源氏の子孫たちを味方につけて、北条氏を滅亡させ、鎌倉幕府討幕を果たします。執念ですなぁ。

彼は私たちに、一度や二度の失敗でくじけるんじゃない。三度失敗したら、四度目またチャレンジすればいいじゃないか、と訴えかけてきます。でも人はそんなに何度も気持ちを奮い立たせられるのでしょうか。後醍醐天皇だって、もう一度失敗していたらさすがに心が折れたんじゃないの?

いいえ、彼には四度目があったのです。討幕後に彼は、建武の新政という天皇親政の政治を行いました。ところが部下達への公正さを欠いたため、足利尊氏に離反されます。やがて京都を追い出された後醍醐天皇は、吉野(奈良)に逃れるのですが、そこで彼は何と、「南朝」という新たな朝廷を立て、自らその初代天皇となったのです。このとき後醍醐天皇は48歳。いやはや、転んでもただでは起きない、とはまさにこのことでしょう。その精神力、見習いたいものです。

人生後半戦に差しかかると、人は「あとは若者に道を譲って…」などと考えがちです。しかしおじさんにはこれまで培ってきた経験や知識があります。そこに人脈とチャレンジ精神と困難を乗り越える不屈の闘志と失敗してもあきらめない執念深さが備われば、後半戦からでも何かを成し遂げられる筈です。さぁみなさん、今から一花咲かせてやろうじゃありませんか。

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執筆者プロフィール
宮本毅(みやもとたけし)さん
算数・国語・理科・社会の4科目すべてを指導する塾講師。生徒のやる気を引き出し、自立学習のさらに先にある「自発学習」を目指す。著書に「はじめての中学受験」「ゴロ合わせで覚える社会140」などがある。

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