自分らしく生き生きと、仕事や趣味などを通じて自己実現をしていくためには、メンタルヘルス(心の健康)を健全に保ち、その状態を適切に維持していくこと、つまり「メンタルヘルス・マネジメント」が重要です。
そこで、メンタルヘルスに関する基礎知識とマネジメントの方法について、NPO法人東京メンタルヘルス・スクエア理事長として、心の不調に悩む人たちのカウンセリングを行っている、武藤清栄先生にお話を伺いました。
まず、ストレス社会と言われる今の社会状況は、心の不調や病気にどのような影響を与えているのでしょう?
「情報化社会やIT社会と言われるなか、社会がなんとなく世知辛い状態で、それに新型コロナウイルス感染症拡大が追い打ちをかけているように感じます。もともと、現代の暮らしは人間関係が希薄になりがちなうえ、リモートワークやソーシャルディスタンスが求められるようになり、これまで以上に、孤立や不安を感じるという人たちからの相談が増えていますね。また、そのような悩みの根本には、アイデンティティの問題、つまり『自己価値』や『自分の居場所はどこなのか?』という不安があり、これが先行きの見えない状況で、より強く感じられているのかもしれません」(武藤清栄先生)
最近、「メンタルヘルス」という言葉は、普段の生活や職場などでもよく聞かれるようになってきました。そもそも、メンタルヘルスとはどのようなものなのでしょう?
「メンタルヘルスは『精神保健』と訳され、日常的な言葉で言えば『心の健康』となります。心の健康を理解するうえでは、『脳は心を作る工場』と考えてください。脳という工場では、8つの働き(機能)、つまり心の部品が作られます。1つめは、快や不快、好き嫌いなどの『感情』です。2つめは思ったり、考えたりする『思考』、3つめは『記憶』、4つめは食欲、性欲、睡眠欲の上に成り立つ『意欲』です。5つめに挙げられるのが注意力や覚醒力といった『意識』、6つめは自分は何者なのか、自分は役に立っているか、自分は人から好意を持たれているかといった『自我意識』、これがいわゆるアイデンティティにつながるものです。7つめは見たり聞いたり、味わったり触ったりという『知覚』、そして最後の8つめが『知能』となります。脳という工場で作られる、この8つの働きを合わせたものを、私たちは『心』と呼んでいます。
ですから心の不調とは、心を構成する8つの働きのいずれか、あるいはいくつかの調子が悪くなるということです。たとえば『感情』において、虚しい感情や悲しい感情ばかりが生まれるのはうつ状態であり、それが悪化して感情が湧かなくなり、思考が停止したりマイナス思考や自責の念ばかりになってしまう状態が2週間以上続くと、それはうつ病ということになります」(武藤清栄先生)
心の不調や病気に対して、それを察知して対処をするためには、どのようにすればよいのでしょうか?
「まず身体的な面で言うと、よく眠れているか。睡眠が何時間くらいとれているのかを知ることが重要です。また食事について、食欲があるかどうか、バランスの良い食事をとっているのかも、気を付けておきたいポイントです。運動に関しては、激しい運動は必要ありませんが、毎日あるいは2日に1回程度、体を動かすことやストレッチなどをしていることが大切です。運動やストレッチは血流を良くし、心の働きにも刺激を与えるからです。
職場では、特に最近はパソコンを使う機会が多いので、長時間労働が目の疲れや肩こりの原因となる場合があります。職種や仕事の内容によっては、こうした点にも注意を向けてほしいですね」(武藤清栄先生)
職場には多種多様なストレス要因があります。もちろん、プライベートでのことがストレス要因となり、仕事や人間関係に反映する場合もあります。これらは、心の不調の原因となることが少なくありません。ビジネスシーンにおいてメンタルヘルスをより良く保っていくためには、どうすれば良いのでしょうか?
「最も大切なことは、仕事によって命を奪われたり、病気やケガを負ってはならないということです。これを『安全配慮義務』と呼んでいます。働く人はまず、自分自身に対してこうした意識を持つことが大切です。上司や管理者という立場にある人なら、働く人や部下に対して、仕事によって病気やケガをさせてはなりません。これは『労働契約法』や『労働安全衛生法』にも明記されていることです」(武藤清栄先生)
それでは、職場で心の不調や病気を防ぐための具体的なポイントについて、武藤先生に教えていただきます。
ポイント1:過重労働
最初に注意したいのが過重労働。武藤先生のカウンセリング経験からも、心の不調を訴える人の多くに、時間外労働が非常に多かったり、重大な案件を一人で抱えさせられているなど、過重労働の傾向がみられたといいます。
「心の不調を感じたら、まずは自分がどのくらい働いているのかに目を向けてください。そのうえで、1日の仕事や作業においては、適宜休憩をとること。また、業務そのものが過重労働であるなら、それを改善するように仲間や上司に求めることが重要です。管理者の立場であれば、部下がどのくらいの時間働いているのかについて常に注意し、それを改善するよう促してください」(武藤清栄先生)
ポイント2:職場の人間関係
最近、職場の人間関係において、「批判されたり非難されることが怖く、コミュニケーションをとることが苦手」と感じる人が多くなっていると、武藤先生は指摘します。特に「対面でのコミュニケーションが苦痛に感じる」、「上司の表情を見ると話せない」、「声をかけられるとビクッとしてしまう」といったことがあれば、注意が必要です。例えばどうしても直接話をしなければならない用件以外であれば、メールや電話などのツールを用いたコミュニケーション方法を積極的に活用することで、対人関係のストレスを回避することもお勧めします。
「さらに、職場の人間関係などでストレスを感じたときには、自分のモチベーションを維持するために、気持ちや気分をコントロールすることが重要です。具体的には、呼吸法がお勧めです。職場などで何らかのストレスを感じた際には、深呼吸でも腹式呼吸でも構いませんので、休憩時間などに3~5分ほどゆっくりと息を吸い、そして吐く呼吸法を行ってください。その際には、特に吐く息に意識を置くと効果的です。なぜか気持ちが安定し、意欲が湧いてきます」(武藤清栄先生)
一方で上司や管理者の側は、部下の心と言葉に寄り添い、素直な気持ちを示して声をかけること(カウンセリング・マインド)、「一生懸命聴くよ」というスタンスを見せると、相手も話をしやすくなるそうです。
ポイント3:仕事のパフォーマンス
それまでに比べて仕事のパフォーマンスが落ちてきたり、ミスやエラーが増えてきたときには、メンタルヘルスに関して何らかの問題が生じている可能性があります。こうした場合、多くのケースで「ポイント1」のように長時間労働や時間外労働が起きていると、武藤先生は指摘します。
そのため、「なんだか最近、ミスや失敗が多いな……」と感じたら、まずは長時間労働や過重労働になっていないか、自分の仕事の状況や作業量、進め方などを改めて見直し、必要に応じてそれを改善することが大切です。
「そのほか職場のメンタルヘルスに関しては、職場の異動後に心の不調を感じたり、バランスが崩れがちという傾向があります。これは、新しい仕事や職場環境に慣れない状況があり、一方で人間関係の構築がまだできていないことから、職場で質問や相談がしにくいということが要因と考えられます」(武藤清栄先生)
当事者あるいは職場の上司や管理者という立場で、メンタルヘルスを適切にマネジメントしていくために、注意すべき点について教えてください。
「先にお話しました、『脳という工場でつくる8つの心の働き』のうち、とくに感情、思考、自我意識、この3つがメンタルヘルスのマネジメントに、非常に重要な影響を与えます。心の不調を感じている人も、あるいは職場の管理者にしても、この3つの点について普段から注意を払ってほしいですね。そのうえで、心の不調や悩みを感じたら誰かに話をすることです。上司はもちろん、同僚や友人でも構いません。あるいは心療内科や精神科の医師、カウンセラーなど、心の専門職に早めに相談することも大切です。
一方で多くの人が、心の不調を感じていても『なかなか人に相談できない』といいます。これはつまり、悩みや心の不調を感じているのに、誰かにそれを相談しようという発想にならないという状態であり、その状態こそがメンタルヘルスにおいて注意すべきサインなのです」(武藤清栄先生)
メンタルヘルス・マネジメントの基本について知ることで、自分自身の働きやすさを維持し、また上司や管理者としてチームのパフォーマンスをより高めていくことができるといえるでしょう。
誰もが仕事をしやすい職場を作り、みんなの心の健康を維持していくために、さらに深くメンタルヘルス・マネジメントについて学んでみてはいかがでしょうか。