大学卒業後、ドラフト3位で千葉ロッテマリーンズにピッチャーとして入団。数多くの野球経験者の中でもトップエリートが集うプロの世界で活躍するという『成功』を成し遂げた和田孝志さん。ただ、それと同時に『第二の人生』と若くして向き合わなければならないのもプロアスリートの宿命です。そんななか、和田さんがセカンドキャリアとして選んだ道は、まったく畑違いな「接客業」でした。
──ご自分のお店は渋谷に?
はい。『美醤』という和食ダイニングで、今年が9年目になります。
──現役を引退された時点で、飲食業の経験はゼロだったんですよね?
小・中・高、大学とずっと野球漬けでそのままプロに入ったので、アルバイトの経験さえほとんどなかったです。
ただ、昔から食べることは大好きだった。遠征先でもホテルの食事に飽きたら、しょっちゅうチームメイトを「美味しいもの食べに行こうよ!」と、誘っては出歩いていましたしね(笑)。
そして、「食ってストレス発散にもいいよなぁ。僕も引退したら、こんな美味しい食べ物を出せるお店を持ちたいな」とは、選手時代から漠然と考えてもいました。
──和田さんが引退を考えたのは?
僕の場合は、投手としてボールのスピードとキレが明らかになくなったと感じたとき、高校時代に壊した肩の痛みが再発したところで、ある程度の覚悟はできていた。なので、2002年の11月頃に球団に呼ばれ、実際に解雇を言い渡されたときも、そこまでのショックはありませんでした。
──現役を引退されて……?
翌年2003 年からの3年間は、球団スタッフとしてロッテに残りました。
でも、2004 年に「1リーグ制移行問題」が浮上し、球団内が急にばたつき始めて……。そういう状況も手伝って、僕の心の中では、選手時代に感じた「飲食の世界でやっていきたい」という気持ちが具体的なものになっていきました。
ですから、2005 年の夏には「辞めます」とキッパリ球団側に伝えました。ちょうど優勝して日本一になれた年だったので、僕にとっての野球人生はハッピーエンドでした。
──そこからはもう、真っさらな状態で頑張るしかなかった?
そうですね。まずは求人広告を見て、自分の素性も明かさず「アルバイトさせてください!」と何件も電話しました。けれど、「35歳(当時)」という年齢を言うと同時に「ダメだねぇ」の繰り返しでした。
かなりへこみましたよ(笑)。しょうがないから、「頼れるところに頼ってみよう」とマインドを切り替えて……。現役のときに通っていた居酒屋などに「アルバイトさせてください!」と頼んで回り、あるお店で数日間、無償で働かせてもらった。トイレ掃除や皿洗いから、厨房に入ったり……とにかく、やれることはなんでも進んでやりました。
──和田さんにとって転機となったのは?
ロッテ時代にお世話になった、ある先輩(元)選手の方が声をかけてくれたんです。「オレのやってる店で働かないか?」と。
そこで、働き出して1カ月くらいで、その先輩から「今度恵比寿で新しいもつ鍋屋をオープンするから、そこの店長をやってくれ」と打診されたんです。
──凄まじい『大抜擢』ですね(笑)?
まだ素人同然だったので、はじめはお断りするつもりでした。でも、「恵比寿のもつ鍋屋」というシチュエーションが、「いずれ持ちたい自分のお店」にピッタリな気がして。一か八かで引き受けたんです。
内装から設計士さんと相談しながら考えました。厨房の広さ・席数・パントリーやトイレなどの理想の位置だとかを、まさに実戦を通じてシミュレーションできたわけです。
なにも知らなかったからこそ、逆にスポンジのようにあらゆることを吸収できた。プレッシャーは半端じゃなかったけど、今から思うとすごくラッキーでしたね。
──『独立』は、いつ頃からお考えに?
「自分のお店を持ちたい!」という想いは常にあったので、(店長になってから)半年後には先輩のお店を辞め、物件を探したり、飲食店を開くのに必要な資格を取ったり……の準備期間を経て、翌年の2007 年6月1日に『美醤』をオープンしたんです。
──まったく『畑違い』のお仕事を始めるときのマインドセット術を教えてください。
僕の場合、寝ても起きても「飲食を始めるためロッテを辞めた」という切実感があったので、たかが2年3年程度の赤字で「やっぱりダメか……」と諦めることができなかった。そして、その土壇場での踏ん張りを支えてくれたのが、「プロ野球という狭い世界では出会えなかった人たちとお話をして、いろんなことを聞くのが最高に楽しい」という気持ち。野球と同様、飲食の仕事を好きでい続けられたことが、結果として『今』に繋がっているのではないでしょうか。
──和田さんのお店はリピート率が大変高いと聞きますが、なにか秘訣みたいなものはありますか?
特別なことをしている意識は、あまりないなぁ(笑)。
人脈づくりは『積み重ね』。最初に僕を雇ってくれた先輩をはじめ、要所要所で僕は人に助けられてきたので、人を大切にしたいという気持ちがとても強い、ただそれだけ。
『自分の中心』にはいつも野球があって、たとえばプロ野球時代につくった人脈は、そのまま今の仕事にも引き継いでいける。あのとき知り合ったアナウンサーや記者や、後輩の野球選手がお店に来てくれて、その人たちがまた違う人を連れてきてくれたりするわけです。
誰だってキャリアチェンジすれば、仕事内容はガラッと変わっちゃうけど、『前』に蓄積してきた経験や出会いは絶対ムダにはならないと思います。
たとえば、日本酒しか出さないお店だとか、中華料理屋なのにワインしか置いていないお店だとか……より専門的なお店を次は出してみたい。
皆さん、飲食店を始める場合、「調理師免許」が必要だとよく勘違いされがちですけど、実は「飲食店を開く」だけなら「食品衛生責任者」と、火を使う場合の「防火管理者」の資格だけがあれば大丈夫なんです。
とは言え、「専門的なお店を出す」という次の『夢』を実現するには、『しっかりした料理』が不可欠なので、できれば「調理師免許」を取っておきたい。
ソムリエでも利き酒師でも、専門的な資格はあればあるほど有利。ウチみたいな和食屋でさえ、「ワインリストはないの?」とお尋ねになってくるお客さまは、必ずいるんですよ。そんなとき、ソムリエの資格があれば大きな売りとなるサービスになるわけです。
これからの飲食業は、「なんでもあり」じゃなく、ますます絞られた専門色に特化していくと僕は予測しています。そこでお店の個性を前面にアピールしていくには、なにか一つ、「これだけは誰にも負けない」というものを持っていることが掛け替えのない財産になる。
あと、これからは東京五輪に向け、外国のお客さまもますます増えていくので、英語や中国の勉強も、ぜひチャレンジしてみたいですね!
野球が好き、食べることが好き、加えて「営業中は、極力お店を離れない」ポリシーにオープン以来こだわり続ける和田さんの「人が大好き」という素朴な人柄に惹かれ、サラリーマンからスポーツ選手にタレント……と、日々バラエティー豊かな客層でにぎわう『美醤』。しかし、最大の『成功の鍵』は、何事にも常にチャレンジしていく和田さんの、前向きな姿勢なのかもしれません。
和田孝志(わだ たかし)さん
元プロ野球選手・和食ダイニング『美醤』オーナー
1970年埼玉県生まれ。拓殖大学紅陵高校から東洋大学に進学。東都リーグでは2年の春にリーグ10人目のノーヒットノーランを達成。1993年、千葉ロッテマリーンズに投手としてドラフト3位で入団。2002年に現役引退。その後、同球団のチームスタッフを経て、飲食業へと転身。
Text:山田ゴメス